朔太郎が虹の橋を渡って、今日で一年が経ちます。
今日は、朔太郎の最期について書こうと思います。
長いし暗いし、いつものお気楽兄弟日記を見に来てくれた方にはごめんなさいね。
明日からはいつもの食いしんぼう兄弟の日記に戻ります。
昨年の9月、膀胱に腫瘍が見つかった。
配膳係から、朔太郎がご飯を食べずに元気がないというメールが入り、
帰宅した私が朔太郎を膝に乗せるとと、本人も意識していないだろうという状態でオシッコを漏らした。
19年間、一度もそそうをしたことが無かったので驚いた。
翌朝一番で獣医に連れて行き、膀胱にできた腫瘍が尿道への出口に蓋をするようにピタッと張り付き、
排尿の邪魔をしていたのが漏らした原因だということがわかった。
通常の姿勢では栓をされた状態になるが、横になった時はそこに隙間ができるため、オシッコが漏れていたのだ。
エコーでそれを発見した獣医さんは、朔太郎にかがみこんでこう言った。
「もっと早く見つけてあげられなくてごめんね。」
実は一年以上前から、朔太郎の耳の鼓膜付近に腫瘍が見つかってはいたが、手術できる年齢でもないので、
積極的な治療は行わず“もしかしたら腫瘍に効くかもしれないが猫には試してみないとわからない”
という程度の飲み薬をもらい、自然に溜まる分泌物の処置を自宅で毎日続けていたのだ。
その腫瘍が転移していたとしても不思議ではない。
だからこそ獣医さんとしては、じくじたる思いがあったのだろう。
私にはもちろん獣医さんを責める気持ちなどなかった。
猫は限界まで具合が悪いのを見せないものだ。
現に一昨日まではご飯を食べ、オシッコの量と色も正常だった。
ただ、それでも私にはわかるサインが必ずあったはずだ。
事実、ひと月ほど前から1日2回しかしない朔太郎のオシッコの時間が長くなっていることに気が付いていた。
今思えば出口が塞がりかけていたから、出し切るのに時間が掛かっていたのだろう。
それを若い時になった尿路結晶とは明らかに違う症状だと認識し、その他の可能性を考えなかった。
謝らなければならないとしたら、それは私なのだ。
体を横にして膀胱を強く押すと勢い良くオシッコが出ることがわかったので、今後は私が介助して排尿させることにした。
しかしその方法は3日しか使えなかった。
4日目は横にして強く絞っても一滴も出ない。
獣医さんからは残念だけれどもう永くないということが伝えられた。
自然界では自力で食事と排泄ができないというのは死を意味する。
ましてや耳の腫瘍よりも前から、高齢での腎不全を少しでも緩和するために2日に1回の皮下点滴を行っている朔太郎だ。
水分を入れるばっかりで出さなかったら膀胱だって破裂しちゃうじゃないか。
獣医ではペニスの先から尿道カテーテルを膀胱に通し、反対側につけたシリンジをゆっくり引いて
人工的に排泄させるという方法を行っていたので、私は自宅でそれを行うことに決め、必要な器具を持ち帰った。
というより、朔太郎の性格上、入院はハナから考えられなかったのでそれ以外に方法は無かった。
それからの毎日は忙しかった。
ご飯は朝晩、小さなシリンジで高栄養食を膝の上で仰向けにした口に1時間かけて与え、夜は皮下点滴を毎日する。
オシッコも朝晩、カテーテルを通して排尿させる。はじめは針の穴に糸を通すように難しく、指が震えた。
朔太郎が怒って暴れるので尚更難しく、スウェット生地のスカートを使って上下にゴムの入った筒状の袋を作り、
顔とお尻は出しても手や足は出せないようにしたら、一人でも何とかできるようになった。
だがそれも1週間後には、カテーテルの先端が手前で抵抗を感じて膀胱まで届かなくなった。
腫瘍が急速に大きなってきており、細いカテーテルが入り口の蓋を突破できなくなったので、
ひと回り太いものに変えざるを得なかった。
それでも患部から出た粘度の高い分泌物が管に詰まり、シリンジを引いても尿を吸い出せなくなり、
膀胱を洗浄してもらうこともあった。
当初は自分でソファに飛び乗ったり、足腰もしっかりしていたので、夜中になるとやたらと外に出たがるようになった。
マンションの廊下から今まで行ったことのない植え込みの奥へ入ろうとして、放っておくとどこまでも行ってしまう。
死に場所を探しているのだと感じた。
そんな時、そして闘病中に幾度か訪れたもうだめかもしれないと思った時、私は朔太郎に必死に訴えた。
「まだ死んじゃいけない!生きて!ご飯もオシッコも、できることはみんなみんな私がやってあげる!だからもっと一緒にいようよ!」
すると不思議なことに、さっきまで虚ろな瞳をしてぐったりしていた朔太郎が、その時ばかりは頭をしっかりと上げ、
私の目をしっかり見据えて聞いている。
そして次の日には本当に元気を取り戻して、ご飯を嫌がらずによく食べるようになり、ひょっとしてこのまま
快方に向かうんじゃないかという様子を何度も見せてくれた。
獣医さんも驚きを隠せないようだった。獣医さんの言う“永くない”というのは1週間以内のことだったからだ。
だが、その時は確実に近づいてきていた。
時間が残り少ないということを、日々、一分一秒毎に感じていた。
だんだん歩くとよろけるようになり、後ろ足の自由が利かなくなり、自力で移動することも難しくなった。
後ろ足で踏ん張れないため、ウンチも自力でできず、便秘をすればご飯も食べなくなって痩せる。
獣医さんに肛門から指を入れて出してもらい、やり方を見て次からは自分でやることにした。
脱水症状が進むのを恐れて点滴を1日2回にした分、造血ホルモンの注射も3日置きに打つ。
針を刺す時に、つまむ皮膚の下に背骨の形をはっきりと感じるようになった。
とうとう完全に歩けなくなり、寝返りを打つこともできなくなった。
会社から帰って朔太郎が息をしていなかったらどうしようと、毎日そればかり考え、確かめる瞬間が怖かった。
だけど怯えながらも朔太郎の世話をできることは嬉しかった。
朔太郎は子猫時代、あまりの凶暴さと人間嫌いのため、世話を焼くどころか近づくことすらできない猫だったから、
手を掛けたくても掛けられなかった。
そのぶん今、おじいちゃむだけど赤ちゃんのようになって、その当時できなかったことをさせてくれてる気がした。
だいずとあずきは朔太郎のしんどい様子を感じるらしく、遠巻きに心配そうに見てはいるが、
以前のように隣でくっついて寝たりすることはしなくなった。
夜はベッドと同じ高さに朔太郎用のソファをピッタリつけて何かあったらすぐに異変に気が付くようにして寝ていたが、
亡くなる前日は私の腕の中で寝た。
その時の朔太郎は実に穏やかな表情で優しく私を見上げていた。
それはひと月あまり。
その日はちゃんと、私が会社から帰るまで待っていてくれたんだよ。
最期の瞬間まで、一緒にいてくれたんだよ。
もうつらくないね、どこも痛くないね。
毎日ひどいことしてごめんね。
本当はもっと早く楽になりたかったのかもしれないのに、私のわがままでがんばらせちゃったんだよね。
ありがとう。ありがとう
19年間、親よりも兄弟よりも誰よりも一緒にいてくれてありがとう。
でもこれで終りじゃないよ。
朔太郎が心の中にいる毎日が始まる。
朔太郎はずっとここにいる。