2011年

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あの日、お世話係は東京から7時間歩いて帰って来て俺たちにいつものカリカリをくれた

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あの日、配膳係は日をまたいだ明け方地下鉄を乗り継いで更に2時間歩き
俺たちの頭をいつものように乱暴になでた

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しかし、その日から全てはいつもとは違う状況になった
仕事、物資、通信、輸送、善意、悪意、

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得体の知れない不安に怯える日々

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見えない絶望を感じる日々

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でも、その年の夏の終わりにそれはやって来た

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マンションの駐車場でやたらデカイ声で一週間鳴き通しだった子猫

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声もデカイが態度もデカイ

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更にその2ヶ月後、あの乱暴者もやって来た

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FIVとFVRに感染し、鼻水と涙でぐしゅぐしゅだったしおらしい可哀想な奴

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檻の中で全く鳴かず、静かだったあいつが今じゃとんでもなくやかましい暴れん坊に

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そして我々は少しずつ希望を取り戻していったのだ

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奴らとともに

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ちょっと!あたしここから動きたくないの お水持って来てちょうだい

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オラ、このホバークラフトで自在に移動できるようになりたいどー

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横着にも程があるだろ、君ら!風呂奉行歴9年の私が言うのだから間違いない

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やれやれ、そろそろ寝るとするか、今日生きられたことを感謝して
あの日いなくなった仲間や閉じ込められたまま無になった生命に思いを馳せて

2011年」への26件のフィードバック

  1. あれから4年、もう4年かまだ4年か…
    あの時は仙一を入れたキャリーを抱きしめて、ただただ震えていました。
    …合掌。

    • 直接的な被害に遭ってない身としてはもう4年も経ったのか
      という感覚しかありませんが
      忘れずに記憶していきたいですね

  2. テレビで、津波が押し寄せていく映像がとてもショックで、信じられなく、
    唖然として見ていました。

    4年前は辛い時もあった、でんちゃんもそらまめさまも今は幸せで良かったわね。

    • 津波の映像は確かにとてもショッキングでした
      今でもテレビで見ると胸が苦しくなります
      まだ見つかってない人もいるので早く見つかることを願います
      そらまめさんとでんろくさんはお気楽極楽ですorz

  3. あの日は人はもちろん多くの猫様、生き物が大変な思いをしたんですよね、、あの日は内業して長い地震の後ニュースも見ずに近所の急傾斜地の現場へ。相棒は私に崖を上がれと言ったが無理とあきらめ相棒が上がり作業終えて帰ったら最初に目に飛び込んだのが仙台空港の映像、車と飛行機が流されていてこれはただ事ではないと感じました。あの日を忘れない、という思いは、後日アップされた「平成の玉音放送」のお言葉「長きにわたって心を寄せて」を繰り返し思い起こすことにしています。
    同心協力 人心救済
    合掌

    • 仙台空港の鮮明な映像は本当にショックでした
      どうしていいかわからない、と皆思ったでしょう
      あの時寄付したお金や物資は、復興予算は、
      本当に有効に使われているのか調べる事すらしていない私たちも
      もう一度考えなければなりませんね

  4. もう4年、まだ4年…
    あの揺れ方は異常でした。
    津波の映像…日本での出来事なのか?
    何が起きているのか?何が起きたのか?
    映像で観るだけで、自身の居る所からでは想像が出来ない様な事が起きていました。
    これから近い将来、私が住んで居る所でも起こるであろう震災です。
    まだまだ辛い想いをされている方々も沢山いると思います。
    早い復興を願って 合掌(T人T)

    でんろくさん、かぼちゃから脱皮?今日は寒いですよ〜(((=_=)))ブルブル

    • 会社の窓から目の前に見える電線が上下に激しく
      揺れている光景は今でも目に焼き付いています
      でんろくさんは今日も暴れていますorz

  5. 四段目の写真のだいずさん、かわええ
    武田邦彦という大学教授が、地震の予知は出来ない、あきらめて。
    と言っています。いつどこで起きても
    いいようにしておくのは、日本全国
    共通の事といえますね。

    • だいずさんはいつでもかわいいですよ?orz
      武田邦彦!あ、前田武彦と間違えたorz
      そそそ、配膳係はいつそうなっても悔いの無いよう
      1秒を全力で生きてます

  6. こんばんは。コメントありがとうございました。
    漫画家さん目指してたなんて・・・すごいー♪
    最近、お邪魔するようになったので
    全貌が掴めないのですが・・・
    (実はニャンズのお名前もまだダレがダレだか把握できてません。
    ごめんなちゃい。)
    そらまめちゃんたちはそこにいたのでしょうか・・・・
    あの時はこちらもかなり揺れました。
    ワタシは阪神大震災で被災したので
    再び起こるんじゃないかととても怖かったです。

    • そそそ、子どもの8割は漫画家を目指したことがあるはずorz
      そらまめさんは実は妖怪なので宝永の大噴火も経験していますorz
      阪神大震災は倒れた高速道路をテレビが延々無言で映していたのを
      よく覚えています
      数年前に神戸の慰霊碑に行った時は涙が止まりませんでした
      被害を少しでも食い止めるために日頃からの心構えや
      備えが大切ですね

  7. 震災の折には、配膳係さまからいただいた連絡と
    支援の申し出は大変心強かった事を記憶しております。

    次に何かあったら、(大した事は出来ないかも知れませんが)こちらからも
    色々と支援できるように、少しずつ準備を心がけるようになりました。

    ・・・震災前は、何も備えていなかったですね。
    震災関連の番組で、なかなか進まない復興に、明るく振る舞いつつも
    苦しい心境をヒシヒシと感じるような映像を見ていると、気が付いたら、
    涙がにじんでいたりする事があります。
    震災は大事な物を奪っていったんだなぁ。
    その心のキズが癒える日が来ることを切に祈るばかりです。

    • いやいや困った時はお互い様です
      助け合っていきましょう
      宮城県には猫友がやたら多いのです
      てか、なぜここまで復興は進まないのでしょう
      赤十字に寄付したお金は今一体どこにあるのでしょう
      政府のやってる「復興」もお手盛りの表面的なことばかりで
      例えば産業を整えるとか仕事を増やすとか被災者が
      自活できるような道筋をなぜたてないのでしょう
      仮設住宅を建て、道路を整備して特定の業界を
      潤すのもいいですが、もっと隅々まで心配りの行き届いた
      お金の使い方を考えてほしいです

      • 何故、進まないのか。
        難しい質問ですね。資材不足もありますし、マンパワー不足もあります。
        その上で、優先順位が高い案件を同時並行で複数抱えているので、
        とてもじゃないですけど、なかなか復興は進まないのだと思います。

        ■少しずつは進んでいると思うもの
        ・福島・宮城・岩手沿岸の壊滅的な津波被害の対応
         瓦礫撤去、海岸線の津波対策は確実に進んでいるはず
        ・沿岸部の漁業と関連事業の対応
         冷凍倉庫や工場なども必要な加工業への対応は大幅に遅延
        ・電気・ガスの復旧・修復
         電気はほぼ元通り、ガス管の地震対応品への交換作業は
         市街地を優先して対応が進みました。
        ・上水道・下水道・浄水場の修復
         水を流せないと言うことは、もう無い筈です。
         下水と浄水場はしばらく海にそのまま流して対応していた。

        ■遅れまくっているけど進んでいるもの
        ・道路・鉄道の修復
         特に鉄道は内陸へ移動の予定で進めていたので、
         地権者への買収交渉、移転説得など時間がかかった。
        ・被災で住む場所を失った人への対応
         災害公営住宅が出来つつある物の、完成するのが遅すぎて
         既に新しい生活(コミュニティ)が出来てしまった家族も多くて
         利用者(移転者)が思ったように伸びないという所もあるとか。

        ■正直、先が見えないもの
        ・福1の対応。福島の除染
         (作業している人には申し訳ないけど)酷くお粗末な事の連続で辟易。
        ・汚染水の処理
         ALPS動いてないし、増える一方だし、高濃度を流出したりしてるし。
        ・除染で出た土(汚染物質)の処理
         ただただ貯めていくだけになっている。入れた袋が風化でボロボロに
         なったり、置いた土地の線量が高くなったりしているとか。

        こうやって書いてみると、原発が無ければ、と思う事ばかりですね。
        あと、長々と書いちゃってごめんなさい。

      • なるほど、少しずつは進んでいるのですね
        てか政府が本気で復興しようとしてないのが見え見えです
        ただ、原発事故は今の人類には手に負えないので
        どうしようもないですねorz

  8. 震災当日の尋常じゃないあの揺れと、
    繰り返される津波の映像に気が滅入り、
    しばらくは食欲もなくなりましたが、
    職場の子供たちと、うちの猫様に大分救われました。生かされている命は希望だな…と。

    • 2年前に千葉県の海浜幕張に行った時
      駅前があちこちぐにゃぐにゃ曲がっていたり
      マンホールが飛び出ているのを見て
      液状化現象の恐ろしさを感じました
      子どもたちの笑顔や無垢な動物には本当に感謝です

  9. あの日、私は外に飛び出しました
    外に出たのは私1人だけでした
    建物が崩れてくるかも、電柱が折れて当たるかも、と恐怖満載でした。

    今日は哀悼を思いながら、平穏な日々を願いながら
    大切なヒト達に優しく、大切なネコのお世話を
    私は私のするべき事を。

    • そうですね
      先ず自分が生きないと他の命は救えません
      自分がするべきことをするしかないです
      そして周りを見る余裕があれば少しでも力を分けてあげたいですね

  10. 四年前から、この季節になると心身のバランスを崩してしまいますね。
    どうしようもないのですが、これで、忘れずにいられるので、よしとします。

    • そそそ、心の傷が癒えるに越したことはありませんが
      出来事自体を忘れ去ってしまっては成長がありません
      あの時の経験を忘れることなく、自分の生き方に役立て
      新しい世代に引き継いでいきたいですね

  11. 11 de marzo de 2011
    在外公館に臨時勤務、報道対応に大わらわの1日でした。
    後に大寺院で追悼ミサが挙行され、県知事と局長全員が弔問記帳、募金活動に快く応じて下さいましたサンタクルス市民の皆さまには、ヅ、あ、頭が下がりました・・・

    • ヅじゃねEEEEEE!けど募金活動ありがとうUUUUUUU!
      外国の方にたくさん助けていただきました
      世界でも最貧国と言われる国からも寄付があったと聞いて
      本当に涙が出ました
      日本人はそういうことも忘れてはいけません
      いつか恩返しができればと思います

  12. 今日は1日、あの日とその命を思い、過ごしていました。

    あの日、今まで経験した事のない強い揺れに、身体が不自由な母を守ろうと頭に膝掛けを被せ「家がボロいから、壊れたら母子一緒に死ぬだけだ!」と声を掛けると、母は私を思い「お前だけでも逃げなさい!」と言う…と思いきや「そうだね!」(爆)
    しかし、その頃通い猫だったかあさん(猫)は、一旦外に出ようとしたのに、私と目が合うと私のそばに戻って来ました。
    その時、母は置いてでも、この猫だけは助けようと心に決めました!

    被災地、そして福島の現実を知るうち、被災猫の里親になる事を考えましたが、その前に自分の足元を見ると沢山の家のない猫様たちが…
    そこから、保護活動を始め、今に至ります。
    まず保護したのがお肉(猫)でした。

    うちから巣立ったコはまだ10匹ですが、これからも1匹ずつ心を通わせ大切に巣立たせてあげたいです。

    どや!
    ママちゃんも、たまにはええ事言うだろ!!

    でさ、ホバークラフトに乗ったでんちゃん、ヅ…脱げてるど!!

    • ヅじゃねEEEEEE!し、ホバークラフトでもねEEEEE!orz
      お肉を保護とかかあさんに餌をやったとか
      一般人が聞いたら腰抜かすorz
      10匹巣立ち!すげー
      ウチではひとりも巣立たないorz

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